静止した世界観
食べ物はバッテリーをチャージする側のモノであり、活動はバッテリーを消費する側のモノだ。
電力を川の流れに例えると、我々は水車になる。
水車が勢いよく回り続けるためには何が必要だろうか? それを考えることが健康の第一歩であり、また最後の一歩でもある。
我々が「身体に良い」と呼び、巷でもてはやされているモノの多くは、水車にフォーカスしたモノが多いため、水流についてはチンプンカンプンである場合が多い。
問題を分かりにくくしている原因は、電磁気力も、酸性・アルカリ性も、酸化・抗酸化も、エネルギー摂取と燃焼のコンセプトも、実際は全部同じことであるのに、義務教育で別々に学んでゆくことであるような気がする。
それ以前に、我々が利用しているのは、水流に例えられるところの「動き」であるということが、すっぽり抜けている。
電子が止まっていたら、電流として使えない。
物質を「エネルギー」とするなら天文学的な数値になる。
無論、現在のアカデミアでは、水の「整列」に要するエネルギーがATP崩壊のエネルギーよりも大きい等と発言することは、ギルバート・リン博士以降、ここ60年くらい許されていない。
現実問題としては、ありとあらゆる「エネルギー」は身体組織の全てにおいて、主に水のフォーメーション変化を通じた「極性の増大と解消」として非常に効率よく蓄えられ消費されている。
(続く) |